妙恭帖第三帖 ~その鎖、 本当に誰がかけたの?~

妙恭帖 第三帖
~その鎖、
本当に誰がかけたの?~
学生時代、
クラスのみんなは毎朝、
「昨日のドラマ見た?」
そんな会話で
盛り上がっていました。
でも私は、
その輪に入れませんでした。
うちでは、
テレビは父のものだったから。
「この番組を見てもいい?」
と父に聞いて許可をもらわなければ、
自由に見ることはできなかったのです。
母はよく、
「お父さんが働いてくれるから、
ご飯が食べられるのよ。」
と話していました。
だから私は、
「テレビはお父さんのもの。」
「勝手に見てはいけないもの。」
そう思って育ったのです。
友達は毎日ドラマの話で
盛り上がっている。
私はその輪に入れない。
だから、
「家のせいで友達と話が合わない。」
「家のせいで誘ってもらえない。」
「うまくいかないのは家のせい。」
そう思いこんでました。
私にとって、「家」は
大きな鎖だったのです。
でも、今になって思うのです。
あれ?
本当にそうだったのかな……と。
よく考えてみると、
私は『ベルサイユのばら』は
夢中で見ていました。
そして、大人になって自由に
テレビが見られるようになった今も、
実はドラマをほとんど見ません。
友達が
いなかったわけでもありません。
いじめられていた
わけでもありません。
両親に、
「ドラマを見せてあげられなくて
ごめんね。」
と言ってほしいわけでもありません。
あれ?
あれれれ?💦💦
もしかしたら……
私を縛っていたのは「家」ではなく、
「家のせいだ」と思い込んでいた
私自身だったのかも!
振り返ってみると、
鎖は最初から
なかったのかもしれない。
そんなことに気づいた今日でした。
みなさんにも、
「ずっとそう思い込んでいたけれど、
本当は違った。」
そんな心の鎖はありませんか?
今日も素敵な1日を!
阿闍梨タロットマスター妙恭