妙恭帖 第四十二帖 「また今度、は本当にある?」

「妙恭先生、秋になったら必ずタロットを勉強しますからね」

でも、Sさんにその秋は訪れませんでした。

妙恭帖 第四十二帖
「また今度、は本当にある?」

Sさんは30代の男性でした。

ある時、鑑定を受けてから、
何度もお店に足を運んでくださるようになりました。

鑑定だけでなく、坐禅やイベントにも積極的に参加され、

「妙恭先生、秋になったら必ずタロットを勉強しますからね」

そう何度も話されていました。

ところが、ある日。

一人の女性から電話がありました。

「Sの妻です。
実はSが昨日、事故で亡くなりまして。

最近、そちらの話をよくしていたので、
お知らせしなければと思ってお電話しました」

あまりにも突然のことで、言葉を失いました。

Sさんが楽しみにしていた「秋」は、
もう来なかったのです。

私たちは日常の中で、
何気なく「また今度」と言います。

「あの人に会いたいな。でも、また今度でいいか」

「ありがとうって伝えたい。でも、今度会った時でいいか」

「いつか一緒に旅行しよう」

でも――

その「今度」は、本当に来るのでしょうか。

もちろん、
何でも今日やらなければならないわけではありません。

けれど、

会いたい人に会うこと。

伝えたいことを伝えること。

やってみたいことを始めること。

自分にとって大切なものまで
「いつか」に預けていると、

その「いつか」が来ないことがあります。

死を意識するというのは、

「早くやらなきゃ!」

と焦って生きることではありません。

自分にとって本当に大切なものを、
後回しにしないこと。

今日のタロットは「愚者」。

愚者は、大きな荷物を抱えていません。

「もう少し準備が整ったら」

「もう少しお金が貯まったら」

「もう少し自信がついたら」

すべての条件が整うのを待つのではなく、

今の自分のままで、一歩を踏み出します。

愚者が教えてくれる魂の自由とは、

「いつか」から自由になること。

『タロットは神さまが、私たちの魂を自由にするために与えてくださったバイブルです』

私たちは、
“また今度”があることを前提に生きています。

でも人生に、
次の機会が必ずあるとは限りません。

だから今日、

自分にとって大切なことを、
一つだけでも選んでみませんか?

死を意識することは、
急いで生きることではありません。

大切なものを、大切なまま後回しにしないこと。

今日という一日は、

「また今度」には戻ってきません。

魂を自由に。