妙恭帖 第二十一帖
「神さまは、なぜ試練を与えるのか」
人生には、
「どうして神さまは、こんなことをするの?」
と思うような出来事が起こります。
ある方は、
結婚して、これから幸せな生活が始まると思っていた矢先、
旦那様の持病が悪化しました。
人工透析が始まり、
子どもを持つことも断念することになりました。
また、ある方は、
お付き合いしていた彼と
「そろそろ結婚しようか」
と話していた矢先、
交通事故で彼を亡くしました。
「なぜ、こんな不幸が自分に訪れたの?」
「わたしが何をしたというの?」
人生には、
そう叫びたくなるような出来事があります。
では、
神さまはなぜ、
私たちに試練を与えるのでしょう。
タロットでいうなら、
「運命の輪」。
このカードには、
「ビッグチャンス到来」
「運命的な出会い」
などの意味があります。
だから、このカードが出ると、
「これから、どんな素敵なことが起こるんだろう!」
とワクワクする方も多いでしょう。
けれど――
人生には、
自分の力では止められない
「運命の輪」が回り始める時があります。
神さまが与えてくださるものは、
たしかに「運命的なもの」です。
けれど、
その運命がいつも、
私たちにとって「嬉しい出来事」としてやってくるとは限りません。
時には、
「これは罰なの?」
「どうして、こんな目に遭わなければならないの?」
と思う姿をして現れることもあります。
けれど、
運命の輪とは――
もしかしたら、
魂を次の場所へ運ぶために、
神さまが回してくださる輪なのかもしれません。
今いる場所から、
次の場所へ。
自分では決して動こうとしない私たちを、
大きな力で動かすために。
そう考えると、
「幸運」も「試練」も、
同じ輪の上にあるのかもしれません。
ちなみに、
わたしの授業でこの話をすると、
生徒さんたちは、かわいらしくクレームをくださいます。
「先生の話を聞いてから、
運命の輪が出ても、
素直に喜べなくなりました!」
あら……。
それもわたしにとっては、
思いがけない「運命の輪」だわ(笑)
さて。
神さまはなぜ、
時に私たちが「不幸」としか思えないような形で、
運命の輪を回すのでしょう。
第二十一帖から、
少しずつ、
その意味を考えていきたいと思います。
タロットは、
神さまが魂を自由にするために
与えてくださったバイブルです。





















