妙恭帖 第二十四帖
「神さまは、なぜすぐに答えをくださらないの?」
Tさんは、わたしの母の知り合いの娘さんでした。
夫からの暴力に悩んでいました。
自分だけならまだしも、
障害のある息子さんたちにまで暴力を振るう。
そんな毎日だったそうです。
ある時、Tさんは店に来てくださり、
師匠の鑑定を受けました。
その時、師匠がTさんに言ったのは、
「今は、逃げなさい」
という言葉でした。
でも、本当にTさんが聞きたかったのは、
「この苦しみは、いつまで続くの?」
「私は幸せになれるの?」
ということだったのかもしれません。
「逃げなさい」
それは、欲しかった答えではなかったかもしれません。
それでもTさんは、
師匠の言葉を信じました。
荷物をまとめ、
息子さんたちを連れて家を出たのです。
でも――
逃げると言っても、
いったいいつまで?
この先どうなるの?
本当にこれでいいの?
答えが見えない時間ほど、
人は不安になるものです。
そんな時、私たちは神さまに、
「神さま、忘れてませんか?」
と言いたくなることがあります。
祈っているのに答えがない。
頑張っているのに結果が出ない。
いつまで待てばいいのかわからない。
でも、もしかすると神さまが私たちを待たせるのは、
答えを出していないのではなく、
その答えを受け取れるところまで、
私たちを連れていってくださっている時間
なのかもしれません。
今日のタロットは「隠者」です。
隠者は、大きな灯りで遠くまで照らしてはいません。
手にしている小さな灯りが照らすのは、
ほんの少し先だけです。
私たちは神さまに、
「ゴールまで全部見せてください」
と言いたくなります。
けれど神さまは、
「今日は、ここまで見えていれば大丈夫」
と、小さな灯りだけをくださることがある。
人生の答えが全部わからなくても、
今日の一歩がわかれば、
人は歩いていけるのです。
「いつまでなの?」
「どうしたらいいの?」
「お願いだから、答えを教えて!」
そう思いながら歩いていた時間も、
後から振り返ると、
人と出会ったり、
考え方が変わったり、
少しずつ強くなっていたりする。
そこで初めて、
「あの時間は、何も起きていない時間ではなかったんだ」
と気づくことがあります。
Tさんが家を出てから、
三年ほど経った頃だったと思います。
ある日、
自分たちを苦しめていた夫が
急死したことを知りました。
Tさんは離婚していませんでした。
そのため、夫が残した土地や家は、
Tさんと息子さんたちのものとなりました。
もちろん、
それですべてが簡単に片づいたわけではありません。
そこからも、
いろいろと大変なことがあったそうです。
それでもTさんは、
息子さんたちを守りながら、
ひとつひとつ立派に向き合い、
自分たちの幸せを勝ち取っていきました。
そして後になって、
「あの時、衝動的に離婚しないで、
言われた通りに逃げてよかった」
と話していました。
あの時、Tさんには、
三年後の未来なんて見えていませんでした。
見えていたのは、
「今は逃げなさい」
という、ほんの一歩先だけ。
でも、その一歩を信じて歩いた先に、
人生が大きく動く日が待っていました。
タロットは神さまが、
私たちの魂を自由にするために与えてくださったバイブルです。
隠者は、
「すべての答えが見えてから歩くのではありません。
今、照らされている一歩を歩きなさい」
と教えてくださっているのかもしれません。
神さまがすぐに答えをくださらない時。
それは、
神さまが何もしていない時間ではありません。
私たちにはまだ見えていないところで、
次の道が静かに用意されている時間なのかもしれません。





















